橋本義郎【舞台監督】
プロフィール

はじめに


   「音楽に携わる舞台監督としてなにか原稿を書いてみないか?」 LSPの清水社長に勧められ、自らの文才の無さ、それ以上に仕事の未熟さをかえりみ、そんな大それた事は、と躊躇していた。
   しかしながら『舞台監督』としての約20年を振り返り、反省してみる一つの機会になるかも、と思い切ってチャレンジしてみる事にした次第である。
   矛盾だらけの文章,登場人物の皆様へのご無礼など、初めにお断りしておきたい。
   大阪(関西)にも私以外に舞台監督を名乗る人たちがいる。皆それぞれに頑張っているし、豊かな才能を持つ若い人も知っている。彼らに比べて私が特に恵まれていると(勝手に)思っているのは東京とのパイプである。
   ≪金一浩司と山田修≫この二人については読者の中にも面識のある人がかなりいらっしゃると思う。金一さんは大阪労音での制作担当の後、東京に出、音楽のステージを中心に舞台監督という分野を切り開き確立させていった第一人者である。(と私は確信している。)
   氏にはもう一つの大きな功績がある。基本的には個人の職業である舞台監督をフリーランスの集団として見事に組織化したことである。
   山田修氏は金一さんの一の子分であり、我社の社長である。この人は27年前舞台の上下さえおぼつかない私を様々な現場に引っ張り出し、仕事を覚えさせたくれた。(教えてくれた訳ではない)
   彼等は、かつての大阪の全盛期を経て東京に出た。私はその全盛期はただの一観客でしかなかった。現在大阪でのコンサートやイベントの制作の比率はかなり低い。きちんと物を作るという点では東京に学ぶ事だらけである。そういう意味で両氏をはじめ、その周りのスタッフ・プランナー・キャスト達と仕事をしたり、コンタクトをとったりする事の意義は大きい。



「やしきたかじんコンサート」 1999.10.5 フェスティバルホール


現実との大きなギャップ

   最近、舞台監督に関する記述を2、3目にした。面識の無い方もいらっしゃるが、いずれも知識,経験共に豊かな、尊敬に値する方であることは、文面からも十分に推察できる。書かれている事は全くもって本論,正論である。
   ただし現実の自分とのギャップはあまりに大きい。決して屁理屈やあげあしとりのつもりはないので気を悪くなさらないでいただきたい。
    例えば,本誌21号のやましたとおるさんの文中、『広辞苑』によれば【演出家の計画に従って稽古に立ち会い、実務上の補佐をし,各スタッフをとりまとめ、初日以降は舞台上・舞台裏の進行を総合的に監督・指導すること。またその人】とある。無論やましたさんは演劇のジャンルでの記述なので何の疑問も無いであろう。しかしながら天下の『広辞苑』にこう書かれては私など舞台監督と名乗れなくなってしまう。演出家のいない仕事などしょっちゅうやっているのだから。
    また、雑誌『雲遊天下』26号での福岡風太さんとの対談の中で金一さんは「結局勝負というのはお金を払って来ているお客さんと舞台との空間を、如何に良い状態に作るか、それしかない。」と、おっしゃっている。ならば、無料のイベントはどうなる?
   同誌の大谷地力さんの文中には,「周りから舞台監督と100%認められてやっている人。」とある。気の小さい私など、何%の人が認めてくれているのだろう、と思ってしまう。
   さらに言えば我々は舞台の無い現場でも舞台監督と名乗っている事がある。(例えばパレード)
   結局、現状ではステージ上の便利屋のみならず『舞台監督』という呼称そのものが便利的に使われている。
   このように現実の私は舞台監督の本流、正論から言えば大きなギャップの中で仕事をしている。それでも私は明日以降も舞台監督を名乗り続けるのだろう。どんな条件の現場であれ、それを仕切るのが好きだから。(本当に仕切れているかどうかは、それこそ周りの何%が認めてくれている事か)


『舞台監督』のジャンルについて

   舞台監督を必要とする(もしくは居たほうが良い)ジャンルは、数多くある。音楽物のコンサート・演劇・イベント・式典・・・・   さらに細かく言えば演歌・ポップス・ニューミュージック・邦楽・クラシック・ミュージカル・新劇・オペラ・ダンス・バレエ・・・という具合にきりが無い。舞台監督を名乗る人の多くは、こうしたジャンルの幾つか複数は経験しているであろう。とはいえオールマイティ、何でもOKという人はまずいないだろう。
   各ジャンルにはそれぞれ基本的なルールが在り、それを熟知しなければなかなか役に立つものではない。
   しかし照明、音響、美術大道具などのスタッフ達には、得手不得手は別にしてあらゆるジャンルに携わる人達を多数見かける。まして演者達はとっくにクロスオーバーしている。洋楽と邦楽、ポップスとクラシック、これらの共演は決して珍しい事ではない。
   この様に見てくると舞台監督も思い切って知らないジャンルにチャレンジする事の意義は大きいのではないかと思う。もちろん最低限のルールを学び、相手に迷惑をかけないという謙虚な姿勢で取り組まねばならない事はいうまでもない。
   そして、そこで学んだことは必ず自分のフィールドに戻ったとき役に立ってくれる事があるはずである。
    かくいう私も、音楽・イベント・式典位の経験しか無い。読者の中に「一度こんな仕事もやってみれば。」と思われる酔狂な方がいらっしゃれば、是非一声おかけいただきたい。


「上沼恵美子コンサート」 2000. 5. 2 フェスティバルホール



やしきたかじんさんと上沼恵美子さん

   このお二人の名前は皆さんもよくご存知だろう。テレビの世界では視聴率男、視聴率女の異名をとる超売れっ子である。私は舞台監督として両人のコンサートを担当している。というよりも彼等のコンサートがあったから舞台監督と名乗り続けてこられた。
   お二人共テレビの画面からは想像もつかないほど繊細な人である。だが、コンサートの作り方は非常に対照的であるので、少し紹介してみよう。
   まず、たかじんさん。芸人顔負けの天才的な話術をもつ歌手である。
   彼のコンサートには一般的に言う構成、演出というものが一切無い。アンコールを含めて十曲余りのオリジナル曲が並んでいるだけである。それがご本人に言わせると「トークとMCとおしゃべり」にミックスされて2時間半から3時間のステージになる。
    セットは照明とのマッチングを重視したシンプルな物が多く、やっかいな転換などめったに無い。西日本を中心に20本前後のツアーだが、各ホールへのアジャストもたいていは問題なくスムーズにいく。
   「何だ、楽な仕事じゃないか。」一見そう思えるこの仕事で一番厄介なのはリハーサルである。繊細さのなせる業か、彼にとってリハーサルはトーク抜き、お客抜きの本番なのである。自身のモニターチェックを除けば、その日のメニューを全曲立て続けに歌いきる。それも胸一杯の情感をこめて。もしこの間に、照明の直しの声や、転換のミスで物音などしようものならそれこそマイクを叩きつけて楽屋に帰ってしまいかねない。つまり仕込みが終わった後はリハーサルやチェックではなく本番の気構え、緊張感が必要なのである。
   じゃあ本番は楽かといえばそれがそうでもない。トークの落ちがツアーの前半は全く読めない。次の曲で転換ならば大げさに言えば5分〜60分のスタンバイである。
   自分やツアースタッフでやる場合は仕方ないがホールの操作盤にお願いする場合など恐縮のきわみである。操作盤の人がトークに聞き入ってお客さんと同じように大笑いしてくれていたらホッとしてしまう。
   さらにご本人は、本番になるとセットも照明も頭に無い。バンドにだけ目配せして1曲カットしてしまう事も昔はしょっちゅうあった。そんな気配が有りそうな日はまさに袖から凝視し続けねばならない。一刻たりとも気を抜けないステージである。
   99年10月フェスティバルホールでのコンサートを最後に、歌手活動休業中のたかじんさんの一日も早い復帰を心から願っている。
   かたや上沼恵美子さん、歌手顔負けの歌唱力を持つタレントさんである。彼女のコンサートの1回目、2回目の悲惨なエピソードを紹介しよう。
   まず1回目、当時のマネージャー氏から「うちの上沼が近鉄劇場でコンサートするねん。おかげさんでチケットは全部売れたから舞台の方はたのむわ。」なんとPA席も残さず売り切っていたのである。続いて2回目「よう売れるから今年は昼と夜2回にするわ。」仕込み時間もリハーサルの事もなにも考えていないのである。あわててホールに連絡し、前日の終演後と当日の早朝をやりくりしてもらって何とか乗り切った。
   その後、会場をサンケイホールに移し、回を重ねていくうちに、演出不在による行き詰まりを私も上沼さんも感じ出していた。私は彼女のやりたい事を具体化するというスタンスで取り組んでいたのだが(それが自分の役割だと信じて)彼女からすると少々物足りなかったのだろう。「橋本さんはもっと意見を言うべきだ。」と突っ込まれた事があった。まさに舞台監督としては困惑である。
   次の年、大きな助け舟が現れた。上沼さんのご主人、真平さん(元KTVの名プロデューサー、現在は系列制作会社の社長)が演出、制作面で参画して下さるようになった。もともと演出がいれば…と思っていた私としては大歓迎である。
    これを機に、このコンサートはさらにパワーアップしフェスティバルホール2日間即刻完売、昨年からは名古屋センチュリーホール2回公演も満席にしている。
   舞台はフェスのバトン割りに悩むくらい目一杯飾る。沖縄をイメージする時は首里城を、ウェストサイドならニューヨークの下町を、昨年などはUFOまで出現させた。当然リハーサルは音楽だけでなく段取り事までしっかりとやらねばならない。そして彼女は超多忙な日常の中で「何時覚えるのだろう…」と思うほど、ほぼ完璧に、歌・トーク・ダンス・芝居などをやり遂げる。
   毎年打ち上げの席で、誰からともなく「何ヶ所かツアーしましょうよ。」の声が出る。そしてその都度本人は「これは私とファンの年に一度のお祭り。」と繰り返す。「恵美子さんお祭りでいいですよ。だからずっと続けて下さいよ。」こう思うのは私一人ではないだろう。

最後に

    舞台監督という立場は決してお客さんの称賛を受けたり、華やかな場に出たりするものではない。もちろん「良かったよ。」と言われれば悪い気はしないが。内容に対しての万雷の拍手は演者と演出が受ける。ビジュアルが評価されたら、それは美術や照明を称えているのだ。「心地よい音だった。」と言ってもらえたら音響の手柄である。我々に対する最大の称賛は、関係者やホールの人からの「お疲れさん。」の一言である。キャストやメインスタッフと一緒に打ち上げの場に出ることなどめったに無い。
    そんな事は百も承知でこの仕事を続けている私がちょっとこだわっている事がある。本文中で気付かれた人がいるだろうか。私は、舞台監督をただの一度もブカンとかブタカンと略していない。普段の会話でも意識している事である。野球の監督をヤカン、映画監督をエイカンとは言わない。同じように舞台監督は舞台監督である。こんなつまらない事にこだわりながら舞台監督を名乗っている。そんな奴がいる事を何かの折に思い出していただれば幸いである。


「21世紀開幕記念式典」 2001. 1. 1 大阪城ホール

PROFILE
1973〜1980
   舞台監督の修行として様々なコンサートツアーやイベントにサブとして従事。主な物にさだまさし、五木ひろし、チェッカーズ等のコンサートや、YAMAHA世界歌謡祭,ABC美の祭典などがある
1981〜
   ポートピアでのイベントを何とか仕切れたのを機に自ら舞台監督を名乗りはじめる。以後、大阪をホームグラウンドとして音楽物をメインにしながら各種イベント、式典などの舞台監督として活動


主な仕事
   大阪城ホール柿落とし・花博開会式・WFF前夜祭(大阪城ホール)・関西空港開港式・スーパーコンサート(大阪ドーム)・シドニーオペラハウス音楽祭・二十一世紀開幕記念式典(大阪城ホール)などに代表されるビッグイベントの他、やしきたかじんコンサート、上沼恵美子コンサートなどの制作に関わり舞台監督を務める。また、関西在住のシャンソン歌手、ジャズシンガー、ミュージシャンのコンサート、リサイタルを数多く手がける。
現在 潟Xペースコア所属
(これはESPASE 22・23合併号に掲載されたものです。)